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世界のマッサージをめぐる旅―第6回 日本の指圧

中国から日本へ、そして世界へ。指圧の歴史をたどる

日本人にはおなじみの指圧。ところが、その歴史をさかのぼると、古代中国の手技療法に行き着きます。

中国から伝わった按摩が日本で独自の発展を遂げ、やがてSHIATSUとして世界に広まるまでには、さまざまな時代の変化と人々の物語がありました。

今回は、そんな指圧の歴史をたどってみましょう。

古代中国に始まる手技療法

指圧の遠い源流は、古代中国の伝統医学にあります。

中国では二千年以上前から、身体を押したり、揉んだり、さすったりする手技療法が行われていました。古い医学文献には導引や按蹻(あんきょう)といった身体を整える方法が記されており、薬や鍼灸とともに、人々の健康を支える役割を担っていました。

こうした手技療法の伝統から発展したものの一つが、現在の中国で知られる推拿(すいな)です。推は押す、拿はつかむという意味を持ち、押す、揉む、つかむなどの多様な手技を組み合わせることが特徴です。

ただし、古代から現在まで同じ名称や施術方法が続いてきたわけではありません。中国の長い歴史の中で、手技療法も時代とともに変化してきました。

中国から日本へ伝わった按摩

中国の医学が日本に伝わったのは、飛鳥時代から奈良時代にかけてのことです。

当初は百済など朝鮮半島の国々を通じて医学の知識や技術が伝えられ、その後、遣隋使や遣唐使などを通じて中国からも医学書や医療制度がもたらされました。按摩も、こうした交流の中で日本に伝わったと考えられています。

701年に制定された大宝律令では、医療に関わる職として按摩を専門とする按摩博士や按摩師が設けられました。当時の按摩は、単に疲れを癒やすためのものではなく、医学の一分野として位置づけられていたのです。

その後、日本の按摩は中国の手技療法から影響を受けながらも、日本の生活や文化に合わせて独自の発展を遂げていきます。

江戸の町に響いた按摩師の声

江戸時代になると、按摩は庶民にも身近な存在となりました。

当時の町では、按摩師が笛を吹いたり、声をかけたりしながら客を求めて歩く姿が見られました。現代のように店舗へ出向くだけでなく、按摩師が人々の暮らす場所を訪ねて施術を行っていたのです。

また、按摩は視覚障害者にとって重要な職業の一つでもありました。江戸幕府のもとで視覚障害者の職業組織が整えられ、按摩や鍼などの技術を身につけて生計を立てる人々がいました。

こうして按摩は、医療的な手技としてだけでなく、庶民の日常生活に根づいた身体のケアとして広く親しまれるようになりました。

しかし、明治時代に西洋医学が本格的に導入されると、日本の医療制度は大きく変わります。伝統的な按摩も新しい医学や制度の影響を受けることになりました。

母親への思いから始まった浪越徳治郎の指圧

近代日本の指圧を語るうえで欠かせない人物が、1905年生まれの浪越徳治郎(なみこし・とくじろう)です。

浪越が幼い頃、家族は北海道へ移住しました。厳しい寒さの中で母親が身体の痛みに苦しむようになり、幼い浪越は少しでも楽にしてあげようと、母親の身体をさすったり押したりしたと伝えられています。

そのうち、ただ揉むよりも、指で一定の場所を押す方が母親の痛みを和らげられることに気づいたといいます。この幼少期の体験が、後に浪越が指圧を追求する原点になったとされています。

浪越は独自の施術方法を磨き、1925年には北海道で指圧の施術所を開設しました。その後、東京へ進出し、1940年には日本指圧学院を設立。指圧を個人の経験や勘だけに頼る技術ではなく、体系的に学べる施術として発展させていきました。

中国の伝統医学では、気や血の流れ、経絡や経穴といった概念が施術の重要な基礎となっています。一方、浪越は筋肉や神経、身体の構造と働きに着目し、指や手のひらによる圧刺激を中心に指圧を体系化しました。

こうして浪越は、日本で受け継がれてきた手技療法に解剖学や生理学など近代医学の考え方を取り入れ、今日の指圧の発展と普及に大きな役割を果たしたのです。

もう一つの指圧を生んだ増永静人

指圧が発展する中で、浪越とは異なる方向を目指した人物が現れます。1925年生まれの増永静人(ますなが・しずと)です。

増永は浪越のもとで指圧を学びましたが、その後、東洋医学の経絡という考え方を重視した独自の施術を発展させました。

経絡とは、東洋医学で気や血の流れを説明するために用いられる概念です。増永は身体の一部分だけでなく、全身のつながりや状態を重視し、手のひらなども使いながら施術する経絡指圧を体系化しました。

この方法は海外ではZen Shiatsuとしても知られています。

興味深いのは、同じ日本の指圧でありながら、浪越は解剖学や生理学を、増永は東洋医学の経絡を重視したことです。

中国に源流を持つ手技療法が日本で独自の発展を遂げ、近代医学の影響を受けた後、さらに東洋医学を重視する新たな流派が生まれたのです。

マリリン・モンローも受けた日本の指圧

指圧が広く知られるようになるうえで、浪越徳治郎の存在は大きなものでした。

浪越は指圧の普及活動に積極的に取り組み、テレビなどのメディアにも出演しました。彼の明るい人柄と、「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く」という言葉を覚えている方もいるかもしれません。

また、浪越は1954年に来日したマリリン・モンローに施術したことでも知られています。モンローが体調を崩した際、浪越が呼ばれて指圧を行ったというエピソードは、指圧の歴史の中でも有名な話です。

世界的な映画スターと日本の指圧師との出会いは、当時の指圧が海外の人々にも注目されるきっかけの一つとなりました。

日本から世界へ、そしてハワイへ

1970年代以降、欧米では東洋の健康法への関心が高まり、指圧もSHIATSUという名前で知られるようになりました。増永静人の経絡指圧もヨーロッパを中心に広まり、多くの施術家に影響を与えました。

現在、海外のSHIATSUには、浪越指圧や経絡指圧の考え方を取り入れたもののほか、現地のスパ文化に合わせて発展したものもあります。

ハワイのマンダラスパでも指圧を取り入れたトリートメントを提供しています。日本でおなじみの指圧が、海外ではどのように進化しているのでしょうか。ハワイ旅行の際には、日本の指圧との違いや共通点を体験してみるのも面白いかもしれません。

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